「お金」で、
幸せの価値観は、変わるのかを、
考えてみた。
あまりに、漠然としているが、
日本社会では、
「お金」の価値観が高いので、
答えが出やすい。
若い頃、
「お金」は、手段であって、
人生の目的にはならずと、思っていた。
「苦楽を共に」が
モットーとされてはいたが、
今の日本では、過酷な現実である。
現代では、
お金を多く持つことで、
自分のやりたい事、希望、夢が叶う、
考え方の、傾向性が強い。
日本の社会も、
「お金」の額で、信用度が違う。
安定した会社で、仕事につき、
一生、安定した給与、
よって、人生プランが組めて、
安定した人生、
安心の中で、豊かな人間関係を育む。
自身の能力を発揮して、起業し、
労力を使わず、株、不動産投資で、
実業家となり、
豊かな経済力の上に成り立つ、
富裕層と呼ばれるステージ、
このベースの上に、
人間関係が、ベストであれば、
言うことはないが、
人生、そんなに思い通りにはならない。
「大きなお金の問題」が、起こった時、
立ち止まり、方向性が問われる。
安心、安定から、急降下しても、
家族、夫婦が、共に乗り越えるのか?
暮らしが一転するなら、
人間関係が良い場合も、
「金の切れ目が、縁の切れ目」で、
簡単に切り捨てて、次に進むのか?
「会社が倒産、一家離散」
は、結構、耳にする事がある。
周りも、「やっぱりね」と、納得する。
「お金がないは、恥ではない」
と、強い絆で、共にリベンジ、
歳を重ねて振り返り、
一緒に笑える時を過ごせる。
次なる「お金」を求めて、
やり直しのスタートを選んだ人は、
ターゲットは「お金」だけで、
選択肢は、狭くなる。
粉雪がチラチラ降る日に、
ストーブの温かな温もりの中で、
「雨露をしのげて、小さな幸せ」
と、実感している。
「お金」は、
あってもなくても、死んだら終わる、
「生きた証」は、
誰かの中で、残っていく。