あの頃の「私」を探している

コロナがベースにあって、

事件、事故、自然の脅威と、

これでもかと、

報道が、続いている。

 

真剣に捉えると、

こちらの神経が、やられてしまうので、

「他人事」のように、

少し調節をしながら、受け止めている。

 

最近は、

どちらかといえば、

自分を否定的、

ネガティブになりやすくなった。

 

若い頃、

人に知識や技術を、伝えたり、

相手の真意や、主訴を理解して、

出口に導く役割の仕事であった。

 

他者の事ばかりで、

自分の事を考える暇など、

なかった様な、気もする。

 

仕事を辞め、

自分自身を見つめ直すと、

深く、重い自分が、

ヘドロの様に、浮上して来た。

 

「老人性のうつ病

「高齢者フレイル」

「社会からの喪失感」

客観的見解では、

どれにも、当てはまり、

ますます、「しんどい!」

 

その立場になって、

「人の思いが、分かる」と、

頭では理解していたが、

「藁をも、すがる気持ち」を、

今さらながら、

知る羽目になったのである。

 

どれ程の

難題が来ても、

傷害が来ても、

ケセラセラ」で、突き進んできた、

あの頃の「私」を、探している。

 

若さを失ったのではなく、

老いの世界に、移行した事を、

認める事が出来れば、

「くよくよ」も、身のうちになり、

穏やかな日常を、取り戻してゆくだろう。

 

人は、

「自分の為」に生きる事は、

意外に、難しく、

本来、

「他者の為」に生きる様に、

造られているのだと感じる。

 

私が託した、「バトン」が、

何処かで、誰かの為に、活用され、

いつの日か、

私を救ってくれることになれば、

嬉しいのである。