寂しさは、いつもそばにいる。

「へぇー」

「ふーん」

「そうなんや」

人の話を聞く時は、

素っ気ない言葉しか言わない、

 

だから、

相談されても、

何を言ったか、

本人は、覚えてもいないのである。

 

「会社を倒産させました」

「何回?」

「一回です」

「あら、一回だけ?」

漫才みたいな会話である。

 

死ぬ一歩手前の、心痛を抱え、

家族にも、見捨てられ、

自己破産で、お金もなく、

絶望の中にいたと言う。

 

全てを失った喪失感の中で、

肩透かしのような、この言葉に、

張り詰めていたものが、和らいだと言う。

 

会社など、また、作ればいいし、

家族が、死んだわけでもないし

お金は、働いたら手に入るやん、

と、私は、思ってる。

 

誰にも、理解されなくて

当たり前の、この世の中、

人の人生、肯定も出来ず、

なおさら否定も出来るわけがない。

 

誰にも会わず、誰とも話さず、

傷ついた心が癒やされるまでは、

「シャボン玉の中に、隠れていて」

と、思ってる。

 

人は、こちらが思うほどに、

消えた人を、追っては来ないし、

探してもいない、

寂しさは、いつもそばにいる。

 

最後の日まで、

悲しみは付きまとい、

苦しみは馴染んでくる、

数えれるほど、少ない幸せも、

人生のカテゴリーに入ってる。

 

百人に、一人くらいは、

温かな手の人が、きっといる。