「許し」と「赦し」

遠藤周作没後、

25年経って、発見された、

「影に対して」が、世に出た。

 

遠藤周作と、

私の、共通点は、

「赦し」と言う、

人間の

奥底に、横たわっている問題である。

 

暴言、暴力だけが、

人によっては、迫害には当たらない。

この世に産み落としてくれた、

我が親は、絶対的なる立場にある。

 

二人の父親は、

地位名誉お金という、社会的武器は、

揃っており、

いろいろ苦労はあったにせよ、

結果勝者である。

 

その人を親に持ち、

恩恵として、

捉える事ができる子供の場合は、

人生、波風も立てず、順風となる。

逆らえば、

逆風となるのは当然である。

 

下から見上げる立場の子供は、

父母を、ワンセットでみるが、

夫婦が、破綻した場合は、

子供は、狭間に落ちこみ、

生涯、葛藤し続ける。

 

肉親であっても、

他人であっても、

理不尽な事、不条理、不合理なことで、

冤罪をかけられたり、

権力で支配されれば、

当然の如く、恨みと化す。

 

遠藤周作の様に、

クリスチャンであり、

教養のある人は、

死ぬまで問い続けるのだろう。

 

「影に対して」は、

小説ではなく、自分ごとであったとしたら、

世に出す事を、ためらった理由は、

計り知れる。

 

何故なら、

未だ、心の中で、

完結出来ていないものを、

世の中に、晒すことに、

躊躇いがあったのかもしれない、

 

迷い続け、探し続けて、

「人を許す」、傲慢な「許し」ではなく、

神の域の「赦し」に、

到達できない、

人間の愚かさに、幻滅しているのである。