「私の神様」は、普通のオッチャン

私の神様は、

実は「普通のオッチャン」である。

 

イケメンでもなく、

白い髭のおじいさんでもない、

満員電車で、よく見かける、

「くたびれたオッチャン」

 

困った時には、間に合わず、

「もう、あかん!」と、

断崖絶壁な時に、のそーっと出現。

 

もうちょっと、「はよ出てよ!」と、

言いたいところだが、

結果、かろうじて救われてるので、

文句は言えず、

「オッチャン、ありがとう!」

 

神様のはずが、

何でもOKにはならず、

特に、お金の分野には弱いので、

「パパリン」や、「スポンサー」とは、

言いがたし。

 

正面からは、出場せず、

斜めはすかいから、姿を表す。

心身共に、疲れ果て、

「お願い!」しても、出てはこない。

 

一人きりで、

困難をひと山もふた山も、

決意して、歩き出すと

そばにいる。

 

「大いなる神」とは、

程遠い風体と

宝くじが当たる様な、

大それた事もない。

 

むしろ、

私の方が、「どうしてるん?」と、

心配する程の、「私の神様」

世の中、ひっくり返っても、

貴方のせいじゃないから、

「大丈夫!」と、慰める。

 

70数年、

生きてこれたのも、

遭遇した奇跡も、

「この人」と、

信仰心のない私が、思っている。