物が無くなっても、命はある

朝マック」注文したら、

ソーセージ不足で

いつもの、ソーセージエッグマフィンが、

別物に、変わっていた。

 

「ビゴのパン屋さん」に行くと、

棚には、買い占めと、商品不足で、

売り切れ状況、

 

1週間前の「ハイオクガソリン」が、

178円から、

あっという間に、

188円に上がってた。

 

この忙しい時期に、

「物流会社」の駐車場に、

何十台のトラックが、

尿素不足で、動かない。

 

まもなく、確実にやってくる、

物不足と、値上がり、

出し惜しみしてるのか、

本当に品薄なのか分からない。

 

年金機構は、

海外への投資の損失をかかえ、

何処まで、耐えうるのか?

若者達に、数年後届くのか?

 

コロナで経済低迷、

ロシアの経済制裁の影響が、

ヒタヒタと、

現実に、表出し始めている。

 

コロナだけなら、

時がたち、いつか、

国産の治療薬も出回り、収束が来る。

 

ロシアの侵略戦争は、

例え、一時の停戦があっても、

人々の心の傷は、癒される事なく、

後世に、恨みとなって継続するだろう。

 

その爪痕は、あまりに深く、

地球崩壊の、始まりである、

目の前で繰り広げられた、

残虐なジェノサイドを、忘れない。

 

小麦で作る食べ物が無くなり、

ガソリンが無くなり、

働く場所が無くなっても、

 

爆弾で、

家族を亡くし、

命が亡くなるよりは、

物が無くなることなど、

比べようがないのである。