豊かな高齢者の悲しみ

こんな時代でも、

「景気の良い話」を、

友人達から、よく聞く。

 

自分には遠い話なので、

あまり興味はないが、

息子のため、娘のために、

今ある資産の整理をしているという。

 

家が古くなったので、

70歳を過ぎて、建て替えるという。

「ある所にはある」らしいが、

豊かな高齢者は、

100歳まで、生きる想定である。

 

それなりに、

若い時には、苦労はあっても、

「先進国」になった、

日本の上昇期の年代である。

 

無から有に、成し得た自信、

バブリーな時代も味わい、

安全を保障され、戦争もなく、

勤め上げれば、普通の企業でも、

相当な退職金が、ついて来た。

 

今の時代は、

ものに溢れ、食には困らず、

表面上は、富ある風には見えるが、

物価は高く、教育費は、半端じゃない。

 

「幸せ先取り」で、

車や家のローンに、追われて、

若い家族は、貯金は厳しい。

 

「お爺ちゃん、お婆ちゃん」の、

支援と協力があっての暮らし。

一昔前とは違い、

「親に仕送り」から、

「子供や孫に仕送り」に、変わって来た。

 

優しい親は、

子供達を、救済し過ぎて、

気がつけば、

一山あった貯金も、底をつき、

「年金+2000万円貯金」

計画が崩れて、

「安泰な老後」が、「危険な老後」、

に、なっていると言う。

 

「お金」や「物」が、

幸せの証の世の中になって、

「質素倹約」は、死語になりつつある。

 

「発展途上の時代」の親を持ち、

可愛い既製品などなく、

食べたいスイーツなどなく、

家族で旅行など、夢の話、

 

そんな幼少期を過ごした、

年代は、

子供や孫には、

「同じ思いはさせたくない」と、

偏ってしまった幸せ感を、

持ってる人達も少なくない。

 

その上、

年老いて、自立ができなくなり、

子供達から、

「老人ホームに入ろうか」

と、言われたら、抗えず、

「悲しい」最期を、受け止めるのである。