「恥晒し」と言う恥

私達の年代は、

「恥」が、

恐ろしいほど、怖い時代であった。

 

何が「恥」になるかは、

状況にもよるが、

目立つファッションをしただけで、

ちょっと、学校をサボっただけで、

「親の恥晒し」と言われる。

 

どこまでが、

恥で、

どこからが、

恥ではないと、聞いてみたい。

 

昔は、

情報も無く、見識も低く、

「日本の常識、世界の非常識」、

と言われた時代もあったはずである。

 

今は、

海外も、身近になり、

日本人のマナーも、

若者達の行動も、

世界に、通用している

 

凄まじい、進化と進歩により、

遅れた人達は、戸惑っている、

聞きなれない言語、

見慣れないファッション、

 

果ては、デジタルな世界まで、

理解不能なものは、

「恥知らず」に、してしまう。

 

人生、振り返れば、

思い通りにはならず、

失敗の繰り返し、

期待が外れで、迷惑が飛び火すると、

「家の恥晒し」と、決めつけられる。

 

現代においては、

家族であっても、

「恥晒し」と、相手に言うほうが、

人として、恥である。