「大丈夫!」は、大丈夫ではない

疎遠になってる友人から、

よく、電話がかかる。

 

「あら、珍しい、お元気?」

と、挨拶を交わすなり、

「実はね」と、

いきなり本題になる。

 

ほとんどが、

本人か、身内の、

身体の不調問題である。

 

親とかの問題は、

意外と、「施設」か「病院」に、

入れちゃって、問題にはならない。

 

自分の事となると、

「微に入り細に入り」、

気になるらしい。

 

医者に行ってるが、

症状があるのに、

「病名」がつかないと、気に入らない、

適当に、薬だけ処方されて、

「様子観察」。

 

医者を差し置いて、

言えることなどないが、

自分が納得したいだけなので、

「問診」の様に、訴えを聞く羽目になる。

 

「加齢による」も、

「高齢になれば」も、

頭では理解してるが、

気持ちが、許さんらしい。

 

普段から、健康に準拠して、

人付き合い、

運動、

趣味、

食事療法、

を、実践している「完璧高齢者」ほど、

身体の異変に敏感である。

 

人に相談してくるが、

「こうでああで」と、

結論は、自分で決めてるので、

指示もアドバイスも、不要である。

 

良く似た症状の例題を出したり、

表出しているエビデンスを、証明したり、

最後に、

外出は、出来てるか聞くと、

 

人のせいにして、

「行かないわけには、いかんでしょ!」

と、答えるので、

重篤な病気なら、

「行くのも、無理になる」と、言うと、

「ほんと、ハハハ!」

と、笑って、終わる。

 

唐突に、

心配かけた事、

相談に乗ってもらった事の、

気遣いもなく、電話を切れば、

それが、答えとも言える。

 

人への気遣い、

他人の意見は聞かない、

恥が、何かわからなくなる。

 

高齢者の病気は、

本人の訴えよりも、

客観的、総合的な、

判断が当たってる場合がある。

 

自分が、

「大丈夫!」と、決めてる人は、

「大丈夫でない」かも知れない。