「大切な三年」を、失った

コロナ禍を挟んで、

3年も経つと、

行きつけの店が、

すっかり変容している。

 

あるべき場所に、店は無く、

「閉店」と、思いきや、

少し小さくなって、表通りから、

外れた場所に、移転していた。

 

コロナも、

少し落ち着き、

友人と、フランス料理のレストランへ、

ランチを、食べに行くと、

メニューも変わり、

値段は、倍になっている。

 

珈琲が美味しい、

古くからある、喫茶店

顔馴染みだった店員さんは、

姿を消して、

新しいスタッフに、様変わり。

 

「苦しい三年」の歳月は、

長いように感じていたが、

あっという間に、

「大切な三年」を、失った。

 

小さな街だが、

小洒落たブティックや、

静かな、レストランや喫茶店

唯一の、社交場の大丸で、お買い物。

 

たまには、

少し、オシャレに気遣い、

友人や、知り合いと、

華やかで、楽しかった時間が、

想い出となって、残っている。

 

高齢者にとっての3年は、

心も、身体も、すっかり別人、

誘いのメールに、

「体調悪し」やら、

「また、元気な時に」やらと、

寂しい返信メールが、送られて来る。

 

一旦、止まった歯車は、

もはや、

再び、動き出すには、

残念ながら、難しい年代である。