「リカレント教育」の必要性

小さな、部屋の中に、

大きな、白板が、

不釣り合いに、置かれている。

 

今は、

「健忘症」の、私の為に、

「覚書用」白板に、使われている。

 

20年ほど前、

有資格者育成教育に、携わりながら、

現在進行形で、

働きながら、

学べる講座を、発信していた。

 

今で言う、

リカレント教育」である。

資格を、取得出来ても、

職場に、現場に出れば、

右も左も分からない。

 

義務教育を経て、

大学や、学校で、

専門課程を、学び、

狙った資格に、「見事合格!」

で、ハッピーエンドではない。

 

パスポートが、出来て、

襟元に金バッチ、

首からは、資格証、ぶらさげて、

関所は通るが、

 

相談者からの質問に、

答えられず、

スマホはできても、

PCが、操作できない、

人達は、ざらにいる。

 

縦割り社会の国では、

他の資格に関しては、

触れず、言えず、

手も出せない。

 

たどり着いた困窮者に、

「こちらは、担当違いです」

と、言うんかい!

 

日本国のマップは、

切れ目なく、繋がっており、

全ての組織図は、

システム化されて、

弾き出される事には、

決して、ならないはずである。

 

なのに、

救われず、見放され、

助からない人が、後を立たない。

 

専門的な知識を、しっかり学び、

頭では、合格するが、

人格的に、未熟であり、

心が、不合格する。

 

抜け落ちていた、

高度な学びとは、

救う相手は、「人で在る」、

根本的な学びとは、

知らない事を、

知らねばならない。

 

人間の学びは、

「これで、終わり!」はなく、

生涯をかけて、学び続ける。

 

もう一度、学び直す、

リカレント教育

教える有資格者も、

また、

学び直す事が、必要である。