外科医の「心と技術」

運び込まれた、

病院の枕元で、

副院長が、

「子宮、全摘」と、言われた。

 

主治医の若いドクターが、

「まだ、若い方なので・・・」

と、戸惑いながら、抗った。

 

患者の頭の上で、

繰り広げられた、光景に、

次の朝、

トットと、病院を、逃げ出した。

 

その後、

信頼できるドクターと、出逢い、

本人も、納得して、手術、

25年が経った今も、元気である。

 

突然の病気を、宣告された患者は、

身体以上に、心が疲弊して

「藁をも、すがる思い」になる。

 

診察に行かれた、

高齢者に、

「どうだった?」と聞くと、

「よく分からなかった」と、言う。

 

聞いてゆくと、治療の不安より、

ドクターに、不安を抱いたと言う、

 

目覚ましく、進歩した医学、

昔の様な、手術のリスクは減少し、

手術も、予後も、

「昨日、手術」した人とは、

思えない程、元気である。

 

「結果よければ全てよし」

ではあるが、

手術台に上がるまでは、

「断腸の思い」で、

する前から、精神が悪化する。

 

アドバイスとしては、

セカンドオピニオン」として、

私が信頼するドクターに、

紹介、相談された。

 

一瞬で、

「手術します!」と、

自信を持って、答えたのである。

 

帰り道、

「どうして、気持ち変わったの?」

先生が、

「心の治療を、してくれたから」

と、笑って答えた。

 

ドクターの中で、

「神の手を持つ」名医も、

臓器の治療に加えて、

心の治療も、

しなくてはならない時代になった。

 

私自身は、

「あの先生、見事な切れ技らしい」

と、言われたら、

手術に関しては「経験と技術」を、

選択する人間である。