朝、
晴れわたる空を、
見上げれば、
名残惜しげな「有明月」が見える。
姿を、消し遅れた月が、
我が事の様に、思えて、
ささくれ立つ心が、
何だか、ホッコリとする。
仕事で使っていた、
大きなホワイトボードが、
部屋の中で、
ボケ防止のための、
「物忘れボード」に、変わっている。
「忘れんとこ!」
自治会のお知らせ、
病院の診察日、
友人との、ランチ日、
果ては、
自分の携帯番号まで、記述済み。
終わったら、「済み」マークをつけ、
いらなくなったら、破棄して、
今のところ、
スムーズに、活用はできているが、
怖いのは、
書いた事を、忘れ、
大切な書類を、貼ったことまで、
忘れてしまう事である。
あの人が、あの人でなくなり、
タイルが剥がれて行く様に、
人格が、壊れていく。
若い頃、
向き合った高齢者も、また、
自分である事を、認識している。
孤立せず、人と交わり、
「笑ったり、怒ったり、泣いたり」
も、良し、
多少、身体が、不自由になっても、
最低限の「生活リハビリ」
も、良し。
当たり前のことが、
当たり前に、出来なくなる現実が、
悲しくもあり、切なくもある。
私は、誰?
此処は、何処?
そして、今何時?
忘却の螺旋の中で、
ゆっくりと、迷走して行く。
しかし、不思議な事に、
「大丈夫?」と、
触れてくれる、
小さな手や、暖かな温もりは、
決して、忘れないのである。
「大好きだった」
ワンちゃんや、ネコちゃんの、
可愛い姿は、
決して、忘れないのである。