「彼岸と比岸」あの世とこの世
今日は、
「秋分の日?」
相次ぐ、台風に、
振り回された、一週間である。
私たちの世代は、
秋分の日の前後の、7日間を、
「お彼岸」と、呼んできた。
いつの日から、
「シルバーウィーク」と、
なったかは、定かでは無いが、
軽やかで、良い感じかも。
「彼岸と比岸」
あの世とこの世が、
交流するという「習わし」で、
幼い頃、
「意味不明」と、思いながらの、
お墓参り。
「千の風」のなかで、
「私は、お墓にはいません」
と、歌われた時には、
「そう、そう、その通り!」
と、変に共感したものである。
この歳になると、
風の便りで、
近しい人達の、悲報が届くが、
ほとんどが、
「家族葬」の、事後報告である。
「昔のお葬式」は、
大きな式場で、
お金に糸目をつけずに、
送り出す事が、亡き人への尊厳であった。
決められたセレモニー、
お酒や、ご馳走が並べられ、
誰の為か分からない、
亡き人の、追悼どころでは無い、
「お葬式」に、抵抗感があった。
最近は、
身内だけの「小さなお葬式」が、
静かに、細やかに、行われている。
大切な人は、
お墓でもなく、何処でもなく、
心の中に、いつも存在している。
時代が、移り変わる中、
イギリスの、エリザベス女王の、
「荘厳な国葬」が、執り行われた。
女王として、
「生きて来られた姿勢」に、
世界中の人々が、感銘を受け、
見送る人々の、
純粋な心模様が、伝わって来る。
数日後、
日本でも、執り行われる
「国葬」が、
邪心や私利私欲の温床に、
ならない事を、願うのみである。