歳を重ねても「恥ずかしい」

人間の、

自立の証は、

「食事、排泄、入浴」が、

出来るかで、決まる

 

歳を重ねて行くと、

誰もが、

生きていくのが、困難になる

 

健康な身体、

健全な暮らしを、維持するために、

医療保険」と「介護保険」が、

日本の制度にある。

 

その日、その時が来たら、

と、思いながらも、

出来れば、

お世話にはなりたくない。

 

「介護度」によって、

利用できる金額が、設定され、

サービスによって、単価が違う。

 

介護保険利用者」が、決まると、

「ケアマネージャー」さんが、

当たり前のように、

自宅の中に、心の中に、

ズカズカと、侵入してくる。

 

介護保険の営業マン」

位に、思っていれば、

期待はずれには、ならなくていい。

 

利用者の、

切なる願いである、

「主訴」を、汲み取れる見識は、

ほぼ、ないに等しい。

 

自宅介護、

施設入所(介護、医療、賃貸)

どちらかを、「チョイス!」

「地獄の沙汰も、金次第」

ピンからキリまで、ステージが違う。

 

「人生のプラン」は、

本人から、行政に移行する。

 

本人による、本人の為の、

介護保険」のはずだが、

家族の為の、介護事業所による、

「ケアブラン」と、なってゆく。

 

「食事、排泄、入浴」の、

三大介護、

たとえ、歳を重ねても、

「恥ずかしい」気持ちはある。

 

他者の、

肉体に触れ、精神に触れる、

崇高な仕事である。

残された貴重な、

「暮らしのプラン」を、

簡単には、

作ってほしくはないのである。