「私の私らしさ」は、誇りである。

「男らしさ」

「女らしさ」

が、禁句になった現代。

 

昭和生まれの、私でも、

ジェンダーレスの社会に、

共感できる事がある。

 

私達の時代には、

生まれた時から、

生物学的性差によって、

決められてしまう、

「生きにくさ」が、あった。

 

「男みたいや!」

「女みたいや!」

が、いじめや差別の言葉であった。

 

人間の内面的なものは、

其々であり、

自分が、表出するものに対して、

世の中の基準に、合わなければ、

 

削ぎ落とされてしまう事を、

知っていたので、

自分の中にある「異性」の部分は、

隠してきた。

 

髪を、のばし、

出来るだけ、女らしい装いで、

怒りを押さえて、

「おしとかやさ」を、

誇示してきたのである。

 

幼い頃から、

お転婆で、元気である」

と言うだけで、

「女の子なのに」と、

心配の要素にも、なっていた。

 

「右向けと言えば、右を向く」

のが、「女らしさ」であり、

抵抗できない時代の中で、

翻弄されてきた女性達もいる。

 

本来、

「私の私らしさ」は、

誇りであり、長所であるはずが、

欠点であると、烙印を押されれば、

何処にいても、

誰と居ても、

幸せにはなれないはずである。

 

ジェンダーレスの若者達が、

本当の自由を、獲得する事に、

誰よりも、応援しているのは、

「昭和のお婆ちゃん達」

かも知れない。