「聖なるねずみ講」の様に広がる

法律家ではないので、

宗教に関する、

法律の解釈は、定かではない。

 

しかし、巷では、

この様な、新興宗教団体や、

また、個人的な霊能者に、

関わっている人達は、多くいる。

 

周りの友人達も、

軽いタッチで、宗教の話題をする。

「よく当たるのよ」

「おかげで、良くなったのよ」

「彼女の誘いで、ついつい」

 

殆ど、

被害者意識もなく、

聞いたこともない様な、

不思議な怪奇的な話に、

皆、興味深々である。

 

人は、

幸せそうに見えても、

深い悩みや、

誰にも言えない様な、真実がある。

 

人間が、解決出来ない案件は

人を超えた神様に、

依存する習性は、

心の何処かに、横たわっている。

 

経典を、信じて信徒になるのか、

献金をしたから、信徒になるのか、

宗教は、

「聖なるねずみ講」の様に、

広がってゆく。

 

「宗教の自由」が、

確保されている日本においては、

苦しみから、

「解放されたい」動機から始まる。

数々の宗教は、暮らしの中に、

当たり前のように、存在している。

 

末端の出来事だけではなく、

その宗教団体の、

組織の、本来の目的や、

根幹に、秘められた核を、

見出さなくてはならない。

 

心の弱い、

政治家達までも、

巻き込んでゆく、螺旋から、

科学者や、学者や、専門家達の、

高度な見識で、

右旋回をしてゆかねばならない、