昔の「写真館」で、
撮られた、
セピア色の、家族写真が、
古いアルバムに、貼られていた。
姉と兄は、
疎開先の田舎で、
日焼けした、真っ黒な顔の、
写真がある。
辛うじて、
都会にいた、
私と妹は、こざっぱりとした、
写真が残っている。
白黒の写真は、
より一層、
敗戦後の、暗い姿を表している。
子供達でさえ、
大きな声で、騒ぐことも、
笑うことさえ、憚られていた。
必死で働く父親、
四人の子供を、育てる母親、
国も、家族も、
壊れた日本を、背負って、
生きた時代であった。
ディズニーランドも、USJも無く、
勿論、スマホなど無い、
子供達は、
絵本や、本の中に、
夢や希望の、世界があった。
どこを見ても、
モノトーンの世の中で、
無力な子供達は、
いつの日か、
「世が明ける」のを、待っていた。
そんな時代に、育った親は、
我が子に、自分を投影させて、
「寂しかった」時間を、
「足らず」の物を、
与えて、与え続けてきたのである。
豊かな社会に守られ、
自動的に、降ってくる親の愛情、
その子供達が、
Z世代の、親になった。
小さな画面に、
世界中の、情報と未来が見える、
スマホは、
赤ちゃんの時から、
「おしゃぶり」代わり。
脳が発達する速度は、
光の速さで、
子供達を、育成する。
其々の時代の中で、
選べない環境の中で、
人間形成されて行く事を、
否定はしないが、
もはや、
私達のいる場所からは、
手の届かない、星の世界。
幼い頃、
こっそり読んだ、本の中、
大きな耳と目を、持った、
あの「火星人」は、
進化した「地球人」、なのかも知れない。