「安心安全」な、わけは無い

虐待を繰り返していた、

保育士が、逮捕されたと言う。

隠蔽工作をしていた、

園側にも、捜査が入ったと言う。

 

明らかに、犯罪であり、

当たり前のことであるが、

一昔前は、

その様な事が、なかったわけでは無い。

 

保育園、高齢者施設、障がい者施設、

療養型病院など、

弱い立場の人達の場所では、

少なからず、場面はあったが、

訴えても、握りつぶされて来た、

傾向があった。

 

この時代になって、

始めて、

日本の社会や、世間が、

世界の主流の中に、追いつき、

「人権」が、

認められて来たのである。

 

介護保険制度により、

高齢者達の「終の住処」は

自宅ではなく、

其々に見合った、施設になった。

 

過ぎたる暴行にによって、

命を落として、

初めて、メディアが、報道するが、

そこに至るまでの、日々は、

地獄であったと推測される。

 

他人事の様に、

「私は入らないから、大丈夫!」

と、安心しているが、

誰一人、

入所や入院など、望んではいない。

 

いつの日か、自分自身も、

心身共に、どうなるか分からず、

その時には、

「自己決定」は、出来ず、

家族や他人が、決めるのである。

 

気がつけば、

自分の家でもなく、

自分の持ち物もなく、

知らない人達の中で、暮らしている。

 

家族からすれば、

「これで、安心!」と、思っているが、

いきなりの別世界が、

本人にとっては、

「安心安全」な、わけは無い。

 

支援が必要な人達を、

護るべき有資格者達は、

知識と技術を、等しく学び、

「崇高な仕事」として、

壮絶な現場に、突入する。

 

外から見れば、

穏やかで、笑みが浮かぶ、

場面であっても、

有資格者達の神経は、

休まる事がないのである。

 

コロナ禍を、経験し、

エッセンシャルワーカーの人達の、

下支えによって、

救われていたことには、気づき始めた。

 

どんな理由があっても、

犯罪は、

許されるべきではないが、

 

環境や制度にも、問題があり、

「世話をする人達」の、

倫理観に依存するのではなく、

その人達も、又、

社会が、守らなければならない、

人間の一人である。