鏡の中の「私」が、変わってゆく

70歳を過ぎて、

年齢と、脚の持病で、

仕事を、ギブアップした。

 

肉体労働ではないが、

日々、新情報を把握して、

頭も、神経も使う、

「学びの園」

 

「やめ時、引き時」は、大切であり、

世間は、

「まだまだ」と、社交辞令、

現場は、

「いづらさ」も、なきにしもあらず。

 

「高齢者ホヤホヤ」の、

65歳達、

まだ、仕事を続けている、

知り合いが、集結すると、

「若者」に見えて来るから、

何だか、不思議である。

 

ブレーキには、足をかけず、

アクセルを、踏み続けている。

10年前の、私も、

「高齢者」の認識は無く、

生意気で、傲慢な、

「オバアサン」だったかも。

 

若い頃から、

友人関係、人間関係、希薄で、

「趣味は仕事」と、言っても、

過言ではない、「おっさん思考」

 

失敗続きの、苦労続きの、

人生だったけど、

「ほんと、面白かった!」

と、今なら言える、歳を迎えた。

 

季節が移り変わるように、

鏡の中の、

「私」が、変わってゆく。

 

年を重ねる度に、

姿、形は、見事に、

「オバアサン」に、創られていく。

生命ある人間の、

自然の法則は、曲げられない。

 

歳を重ねる毎に、

純粋で、清らかになっていく、

「私の心」から、

我欲が消えてゆく。

 

ここまで来なければ、

人間の持つ、

煩悩から、離脱できず、

死んで、始めて、

「仏様」と、呼ばれるのである。