「資格があってもなくても」出来る事がある

「有資格者」の、会議などに出ると、

問題点を、

はっきりと、論じる人がいる。

 

初対面となると、

少し、控えめにはなるが、

「ズバリ」と、指摘するので、

皆、身に覚えもあり、

反論できずにいる。

 

一人で、

いくつもの資格を、持つ人は、

専門的な知識も豊富であり、

多角的に、広範囲的に、

物事が、見えている。

 

エビデンスに、沿って、

的確な意見を、発信するが、

弱者と、対応する業界では、

「ご無理ごもっとも」は、

通用しないと、

大半の人は、思っている。

 

「それは、ダメですよ!」と、

バッサリ、切る様な事は出来ず、

どこまでも、

「人権」を守る為に、

与えられた資格である。

 

社会の制度の中で、

進める道を、逃げ道を探り、

「安全安心な場所」まで、

導かねばならない。

 

一人として、

人生、同じ人はおらず、

「困った事情」や「深い訳」がある。

だからといって、

手を摩り、慰める、

「感情論」は、解決にはならない。

 

相談に乗る側が、

「お手上げ」状態で、

無責任に、

適当な判断で、処理すれば、

「弱者の人生」は、ひどい結果になる。

 

人の一生の中で、

誰もが避けられない、

生老病死」に、関して、

救済、支援、助言、

の、使命ある資格である。

 

悲惨な現場で、

有資格者達の、

尊い「応召義務」の精神で、

多くの命が救われた。

 

混迷の時代になって、

高みを目指して、

能力や知識を身につける為に、

「資格取得」が、

クローズアップされているが、

 

資格が、優先されるのではなく

その資格を持つ、人間性に、

意味がある。

 

目の前にいる弱者を

救えるのは、

「資格があっても、なくても」

出来る事は、

誰にでも、あるはずである、