「降り掛かる火の粉」は、どうする?

「降り掛かる火の粉は、

振り払わなければならない」

体育系中学校の、

入学式の校長の挨拶。

 

その言葉を、

50数年を経ても、

「忘れない」と、

友人から聞いた事がある。

 

一貫して、

「子女育成」を、方針とする、

女子校しか知らない私には、

「過激な言葉」にも、聞こえたが、

 

今、振り返れば、

「当たらずも、遠からず」であった。

長い人生の中で、

「涼やかな風」だけが、吹いてはいない。

 

死ぬほど、辛い思いや、

深い悲しみも、味わうことがある。

身に覚えのない冤罪や、

集団による虐めは、

社会の中に、「永遠」に横たわっている。

 

理不尽なことや、

不条理なことに対して、

「遺憾に思う」

「あってはならない事」と、

綺麗事を、言うのは、

誰にでもできる。

 

世界の中の、

「日本の防衛問題」が、

今、クローズアップされている。

戦争に巻き込まれる事が、

起こらないとも、限らない。

 

「関係ないもん!」では済まず、

ウクライナとて、

誰一人、戦争したいと、

思わなかったはずである。

 

私達、日本人が、

同じ立場に立った時、

微弱な

「政府」に、託すのか?

最初から、

「手を挙げて」降伏するのか?

 

今、問われている、

「防衛費43兆円」は、

何に使われるのかを、

知らねばならない。

 

「降り掛かる火の粉」は、

どうする?の、

第一歩に、なるかも知れない。