「ねばならない」呪縛に、

「母を看取った後、

僕は、自殺を考えています」

 

「研修授業」を、終えた私に、

唐突に、

一人の青年が、声をかけてきた。

 

「振替授業」で、

今日だけの生徒であり、

初めて出会い、

名前も知らない人であった。

 

話の内容が、

「尋常」ではなく、

立ち止まり、

静かに、傾聴した。

 

訳あって、

「親子の確執」があったが、

大病を患った母親の看取りを、

していると言う。

 

「優しい言葉」が、かけれず、

余命もない母親に、

「厳しい態度」になり、

苦悩しているとの、訴えであった。

 

「恨み」がある相手でも、

「老いた」母親であり、「弱者」である。

「ねばならない」

呪縛に、がんじがらめになっていた。

 

私の講義の中で、

何かを感じて、

「最初から、先生のクラスであったら、

変われたかもしれません」

 

いきなり、

「投げられたボール」に、

戸惑いはあったが、

否定する事なく、受け止めた。

 

たった数分の、立ち話の中で、

深い、「悲しみと苦しみ」と、

彼の、「出しきれない優しさ」が、

伝わって来る。

 

最後に、たった一言、

「お母様を、病院に入れてあげる事」

医療機関に、託される事」

この研修で、学ぶべき答えを、

伝えたのである。

 

暗い、

「階段の踊り場」で、

交わした時間の中で、

 

「二人の命の尊厳」の為に、

「二人の魂の解放」の為に、 

助言した答えが、正しかったかは、

20数年たった今も、

心の片隅に、残っている。

 

そして、お礼を伝えて、

少し、安堵した顔の、

彼の後ろ姿を、忘れないでいる。