「只者では無い」と、言われるまでには

最近は、

国会中継」は、影を潜め、

「大谷君」大フィーバーである。

 

野球の事は、

「よう知らんけど」

朝から晩まで、流される映像に、

「大谷君」を、知る由になった。

 

年寄りからすれば、

「孫みたいな男の子」であるが、

若者達からすれば、

「夢と希望」のシンボルなのだろう。

 

「打って良し、投げて良し」

だけでも、貴重な人材、

その上、

完璧な「フジィカル」と「風貌」

インタビューに、対応する、

「知性」も、見え隠れする。

 

「尊敬と、嫉妬」が、入り混じり、

こんな凄い人の、

「親の顔」が、

見たくなるのは、当然である。

 

有名人に、なればなるほど、

「プライバシー」はなく、

ネットには、

「プロフィール」が、掲載される。

 

「氏、素性」

出自、家柄、家系、経歴に、

至るまで、

「興信所並み」の、調査結果である。

 

アカデミックな人達や、

世界で活躍するスポーツマン等、

地位や名誉があるほど、

「良い時」は、追い風になるが、

「悪ければ」、奈落の底である。

 

「熱狂」の、グラウンド、

「華やかな」、舞台、

降りた後の、私生活まで、

「一挙手一投足」が、

晒されてゆく。

 

「大谷君」も、

皆んなと、同じ様に、

「オギャー」と、生まれて、

わずか、20数年、

 

「只者では無い」と、

言われるまでには、

本人の弛まぬ「努力」と、

数々の「悩み」を、

抱えてきたはずである。

 

自己実現欲求」に、

到達するには、

気が遠くなるほどの、

「道のり」かも、知れないのである。