「唯物論」と「唯心論」の狭間の中で

「私、左脳しか使わないのよ!」と、

良く、口にしていた、

「義母」は、

賢く、論理的な思考の人であった。

 

3人の嫁は、

「厳しい姑」に、タジタジではあったが、

理屈の通らない

「意地悪な姑」よりは、良かったと思う。

 

義母の「遺品整理」の時に、

古い屋敷の中に、

天井まで、届くほどの押入れが、

幾つもあり、

開けることすら、出来ないほど、

「物」に、溢れていた事に、

驚いた事があった。

 

ネットを引けば、

「義父」の、名前が出るほどの、

軍人の家に嫁ぎ、

「義母」は、外科医でありながらも、

「女子供」に、権利すらない、

真っ只中の時代を、

生き抜いて来たのである。

 

押入れに、封印された、

数々の品物に、

義母の「悲しみの残骸」を、

見たような気がしたのを、思い出す。

 

現代の世界では、

唯物論」、

つまりは、「物質」が根源とされる、

思考となったが、

当時の日本は、

「唯心論」、

つまりは、「精神」が重んじられる、

時代背景であった。

 

「敗戦後の日本」が、

奇跡に近い、先人達の力により、

「経済大国」となり、

現代の、

「子孫達の豊かな暮らし」がある。

 

「建物」が、破壊され、

「大地」が、根絶やしになり、

原子爆弾」を投下されるまで、

戦争をやめなかった、

日本人の精神の中には、

「唯心論」が、

根底にあったはずである。

 

しかし、

経済大国を目指した、日本人が、

何故、

手の平を返すが如く、

唯物論」に、変容したのかは、

凡人には、計り知れない事である。

 

「左脳しか使わない」と言った、

医学者である、「姑」の、心を、

「美しい物」で、哀しみを、

「溢れる物」で、寂しさを、

耐えて来たとすれば、

 

同じ、女性として、嫁として、

狭間の中で、

揺れ動いていた事に、

深く「共感」出来るのである。

 

物は、いつかは無くなるが、

物に託した、

「義母の生き様」や、

「義母の心模様」は、

いつまでも、

私の中に、残っている。