私の犠牲になった「植木鉢の花々」

「行ってしまったはず」の、

冬の残像が、

吹く風の中に、感じるほどに、

冷たい朝。

 

高層ビルとは、

「不釣り合い」な、桜の花びらが、

風の中で、

「粉雪」の様に、舞っている。

 

花屋さんの前を通ると、

思わず、

立ち止まってしまう程、

「春爛漫」

 

大きな樹木の下で、

寄り添う様に、咲いている、

「小さな山野草」も、

 

庭や、テラスで、

丁寧に、育てられて、

「咲き誇る花々」も、

 

暖かなリビングで、

お客様を、もてなす為に、

飾られた、「豪華な花」も、

 

何処にいても、

何処から見ても、

「文句のつけようもなく」

美しく、癒される。

 

子供は、

勝手に育ってくれたが、

花を育てるのは

「下手くそ」で、失敗の繰り返し。

私の犠牲になった、

「植木鉢の花々」は、数知れずである。

 

暗く、厳しい、

「冬」を、越えて、たどり着いた、

「春」に誘われて、

子供達も、若者も、年寄りも、

 

花を愛でながら、

「笑ってる季節」が、嬉しくて、

巡る季節に、

約束通りに、咲いてくれる、

「自然の恵み」に、感謝である。