「あれからの人生」に、幸多かれ

人生も、

出口に近づくと、

人間関係の、「相関図」が

放射線状に、広がっている。

 

10年単位で

「思い出の本棚」に、並んでゆくが、

忘れた頃に、

電話やメールで、

繋がっていた「糸」が、

再び、甦る事もある。

 

世界の果てまで、

「交信できる」、代物がある以上、

何処に隠れても、

「糸を辿れば」、行き着くのである。

 

パソコンやスマホの、

画面に打ち込めば、

「生きてる所在」を、

教えたに、等しいのである。

 

「真っ平ごめん」の、

この世から、

逃げ切るためには、

「金銀財宝」ばら撒いて、

証拠を残さず、「逃げるが勝ち」

 

その家、その学校から、

その会社、その街、その国、

から、逃げ出すことを、

人は、

「根性無し!」

「卑怯者」と、嘲笑う。

 

「デジタル化」の近代国家、

「住みたい」街や村、

「子供を、育てたい」環境、

「働きたい」場所

逃げ出したのではなく、

夢に向かうのである。

 

「仕事」も、本業と、副業、

「住所」も、街と、田舎町、

自由に、時空を往来し、

自分の居場所が、移り変わる。

 

其々の場所で、出会い、

繋がった人達との、

「想い出」の、コラボレーション、

 

笑いと涙の「証」が、

「あれからの人生」に、

幸多かれと、願っている。