「人生の最期」までに、間に合う事

街で、

「コンコン」と、

咳をしている人を、見かけると、

「風邪かな?」位に、感じる。

 

「車椅子」に、

乗られている人を、見かけると、

「脚が不自由?」位に、

同じ様に、感じる。

 

もし、困られたら、

「お手伝いしよう」と、

見守ってる、心がある。

 

一昔前は、

障がい者」の人達や、

「病いの人達」に対して、

あえて、

見て見ぬふりをしたり、

足早に遠のいていく人達が、

多くいた、時代があった。

 

言葉にするのも、

「憚られるほど」の、差別が、

当たり前の様に、横行していた。

 

食べ物を粗末にしたら、

「目がつぶれるよ」

結婚しない人には、

「どこか、身体が悪いのかも」

子供の躾にまて、及んでいた。

 

早くに、

実母を亡くした私は、

「可哀想」と言う言葉で、

差別を受けていた頃があった。

 

「お母さんがいないからねー」

恥をかく度に、

一言で、済まされる。

私は、

「可哀想な子じゃ無い」

と、悲しんでいた。

 

「負けず嫌い」に、なったのも、

「競争心」が、芽生えたのも、

「傲慢」に、なったのも、

世間が育てた、私がいる。

 

「重くて、暗い」

日本社会の中で、

其々の時代背景の中で、

人間を、創りあげてゆく。

 

「多様性」が、

尊重される、近代になって、

「生きやすくなった人」

何かに、

「怯えていた人」の、背中を、

国が、社会が、後押ししてくれる。

 

誰にでも、平等に来る、

「喜怒哀楽」

生老病死

皆んな、誰かに助けられ、

乗り越えて、生きていく世の中に、

ほんの少し、光がさして

 

誰かに、優しくなれた事、

誰かを、恨まなかった事、

誰かの、力になれた事、

「人生の最期まで」には、

間に合うかも知れない。

 

「思うほど」に、

世の中は、

簡単には、変わらないけれど、

「私の見る目」が、変われば、

世の中は、

大きく、変容してゆくのである。