「綺麗好き」は、私の趣味

昔から、

「汚い」のが、嫌いで、

どこまでも、用事が増えて行く。

 

仕事を、持っていたので、

気になる場所があると、

夜中までの、作業になる、

 

一つ屋根の下、

家族であっても、性格は様々で、

「使って」そのまま、

「食ったら」そのまま、

「脱いだら」そのまま、

身に覚えのある人は、多い。

 

一緒に暮らす人が、

全く、同じ考えなど、

あまり聞いた事はなく、

ほぼ、反対同士が多い。

 

「汚す人」

「片付ける人」がいて、

成り立つが、

「綺麗好き」は、損!

ブツブツ言いながらの、

何十年。

 

しかし、

相手は、感謝どころか、

「触らんといて!」

「片付けんといて!」と、

怒っている。

 

「QUALITY  OF  LIFE」を、

夢見た、暮らしも、

一人暮らしでない限りは、

成り立たず、

 

「衣、食、住」十人十色、

多様性を、重んじれば、

相手にも、それなりの考えもあり、

「綺麗、汚い」が、生き死にに、

重要ではないのである。

 

「親の躾」が悪いと、

言われれば、返す言葉なし、

綺麗好きは、「あんたの勝手」と、

言われれば、その通り、

 

年を経て、

誰もいない、「独居老人」

相変わらず、

「片づけ魔」が、やめられない。

 

「汚す人」がいる、

家庭があるから、

「綺麗好き」の趣味は、

活かされてれていた事に、

今更ながら、気がついたのである。