孤独死の準備

一年位前から、自分の死を頻繁に考えるようになった。若い頃は身体に悪い食べ物を多少摂取しても、3日ほど睡眠をとらずに身体を酷使しても、生命力ではねつけていたけれど、70年という年月は、さすが悪い環境の中での悪い習慣が蓄積され、結果として残って行く。MRIによって、全裸を通り越して人体をあらわにし、果ては食べ物以外を入れたこともない口から、ホースのようなものを突っ込まれたり、人には言えない恥ずかしい検査をしなければならない羽目に陥る。医者という国家資格者がしていなければ、拷問に近い行為である。カルテの生年月日を見て、まあ、一回しときましょかと医者は軽くいう。詳しく質問すると鬱陶しく思われるが、される方は不安なので、逐一聞きたい。結果が良いとホットはするが、それまでに、ますますストレスで、症状は悪化する。というような羽目に陥るかもしれない病院に、老人たちはこぞって日参する。医療保険がパンク寸前になっても、御構い無し!いずれは近い将来やって来る死に対して、やらなければならないことは山ほどある。そんな時に1日がかりで病院に通う意味は何なのか?高齢者の方々に手厚い介護、生き生き健康生活をと掲げた国の本音は、老人は早よ死んで!と思ってる。そんな施策を知ってか知らずか、老人達は100歳寿命をひた走る。そんな時代の中で、成熟した高齢者になりたいと、私は静かに願っています。