ピンピンコロリでは死ねません。

70歳も歳を重ねると、旦那の悪口と孫自慢の話の間に死ぬ話題が入ってくる。テレビで芸能人が亡くなられたニュースがある時は特にである。「あの人まだ若かってんね。でも丁度いいんちゃう?羨ましいわ!」「私は絶対ピンピンコロリが良いわ!」ご馳走をパクパク平らげながら、まるで天国に旅行気分の会話である。私は本当かなあ?そうなんかなあ?と耳を疑う。オギャアと生まれた時から死は背中合わせにあり、若くして不慮の事故や難病で死ぬ事はあるが、今の日本の状況では死は遠い所にある。しかし、人は必ず死ぬのです。長く生きていれば、ほとんど自他共にあらゆる経験済みであるが、最期に、かつて一度も自分が経験した事ない味わった事ない山を越えねばならない。それも山を越えてもその先はないことを。死を客観的に見れば怖くはないが、自分の立場になれば恐怖である。長年、医療現場や介護現場にいて、数え切れないほどの臨終の時を見てきた。人間にとっては手厳しい現実であり、逃れられない真実である。目を背けるほどの死、感動するほどの死、其々ではあるが、私は悪あがきしてジタバタすると思う。この世への強い執着、存在がなくなる恐怖、誰も知らない世界に行く不安など、私はあかん!耐えられへんかもと思っている。死ぬと思えば生きてる日々感謝、本当に大切なものが見えてくると、その手の本も、聖職者も、学者もそれなりの理論を並べて、私もまた生死に関わる職場にいた人間としては、頭の中には叩き込まれてきたので、死に関しては素人では無いと思っています。友人達は、「その時が来たらしゃあないやん。今のうちに好きな事して、美味しいもん食べとこう!」と、死に蓋をして遠ざかる。肉体の死だけではなく、今は、認知症という社会的な死が襲ってくる。あっという間に一年が過ぎてゆくスピードを考えれば、もう残された時間はないような気がして、ドンマイ、ドンマイ!ケセラセラとは、言えない自分がいるのです。