女性は「美しい」という言葉に憧れる。

私の年代でも(70代)はっとするほど美しい人がいる。もちろん容姿も必然ではあるが、所作動作、言葉等羨ましくなるほど美しい。
昔ながらの気立てのいいお姉ちゃんとか嫁にしたらいいとかではなく、この時代の中で女性の評価はかなり変わって来た。友人達も「そのお年には見えませんわ」と言われる事が嬉しくて、美に拍車をかける。コラーゲンからヒヤルロンサンに始まりエステを通り越して美容クリニックでのシワ取りシミ取り。最近、久しぶりに会う友人達が、なぜかほっぺたが膨らんでピカピカ光りを放ってアンパンマンみたいになっている。綺麗は綺麗だが何だか不自然でもある。でも、確かに横じわ、縦じわがある顔よりは断然いいし、しわも年輪が出ていいのよと僻みも半分で言う人もいるけれど、
これだけの高齢者がどこに行っても右往左往する中で、光りを放つくらいの高齢美人は世の中に貢献していると思う。仕事を持つ身の私に、美人の友人達は、聞いてもいないのに美容クリニックを勧めてくる。その事自体が私への答えではあるが、やりたい気持ちがないではないが、一回ヒヤルロンサン注射しても1ヶ月後にはまた治療して、永遠に続けないといけないらしい。またお金もとびきり高く、時間もかかる。せっかちで、時は金なりの私の性格には合わず、整形手術はちと、勇気がいる。なんだかんだで、眉間にしわ寄せながら、老骨に鞭打って、孤軍奮闘しながら残された時間を走り回っている高齢者と、風に吹かれながら優雅な時間、有り余る時間の中を美しい場所で美しい人達と美しい環境の中でランチする高齢者は二分される。女としては後者に憧れるが、宿命、使命が邪魔をするので諦めてはいるが、美しいものには癒される。世の中には、まだまだ女性の容姿の美しさだけではないものに出会うこともある。
「若い頃は・私だって綺麗だったわよ!」と言う言葉だけは言わないようにと心がけてはいるのです。