精神の病は、本当に病気?

少し、専門的な話になるが、2006年に身体、知的、精神障がい別に分類されていた福祉法が痴呆は認知症人格障害はパーソナリティ障害と変わった。科学、医学の進歩とともに、IT革命により対人関係、暮らしまでが急激なスピードで進化し、戸惑い、不安、恐怖を感じて、悩みや病を複雑化していることは確かではある。何かあれば簡単にインターネットで検索、その答えによって判断され、自分の事も、他人の事も一方的判断によって思い込む。仕事柄、精神障害認知症と認定された方、認定はされてはいないが、社会から離脱している方々とお会いして来たが、自分の事をしっかり自覚されてることに驚く。私などはこの歳になっても、未だ自分が解明できず「わからへんわー」と答えてしまう。この世に生きて来た意味、何故に自分が人のために役立つことができずにいるのかを模索している。切なる訴えを聞いているうちに、彼らを取り巻く社会、見守らねばならない家族、理解して共鳴する友人達の受け皿の問題が見えてくるのです。こうなる前に必ず、原因があること、経緯があったはず。そして、迷い道で動けなくなった人には、ゆっくりと生まれた日まで元返し、ゼロベースからの出発を導くことが出来れば、救いは見えてくる。傷ついた人が、さらなる傷を受けないように、環境を構築し、見守れば、そこには普通の暮らしがあるのだと思います。