姑と嫁の支配闘争

綺麗事は、結婚式までである。
初めて迎えるお正月の儀式から、火種は表出していくことがある。
日本は、古来より儀式ごとが多く、これほど科学が進歩して、AIの時代になっても、行事ごとになると、いきなり江戸時代にさかのぼるが如く、豹変する。
「代々、うちの家系では」から始まり、「これだけは覚えていてね」とやんわり嫁の手を取り指導する。
しかし、新参者の嫁が生けた花の位置が違った時から、作った料理の味が違った時から、闘争は始まる。
「あったりまえやん!私はこの家で育ってへんわ!」と、刃は主人に向かう。
できの悪い嫁の噂など、一瞬で親戚中に広まり、冠婚葬祭の時などに、家系が集合すると注目の的になる。
貧しい家庭の嫁は、働く事で家計の足しになり、少しは尊重されるが、資産家に嫁いだ嫁は、
資産を食いつぶしにきたとまで言われる。
嫁と姑問題を言い出したら、夜が明ける。
永年の嫁の悔しい思いが晴れる時は、姑が年を取り、勢いがなくなる時がチャンスである。
見て見ぬ振りをする、聞いてて聞こえないふりをして、「お義母さん、大丈夫ですか?早く良くなってくださいねェ」と、ベットに伏した姑を見下ろす快感を味わう。
「お義母さんに施設を探してあげてね」と、何も言い返せない夫に指示を出す。
この家系の権力者が変わった瞬間である。
繰り返されてきた支配闘争を、数々と見てきた。
嫁も姑も純白な気持ちで、同じ血統の家族と、なった筈なのに、悲しみの連鎖が続いて行く。
長い年月の中で、ねじれた絆を解くことはできないけれど、「何で?」と、ベットに横たわった姑の姿を自分かも知れないと気付くことができれば、嫁という過酷な立場を理解し合える唯一の人であったと思えるかも知れません。
そして、家族にとって一番大切なものは、名誉でもなく、お金でもなく、権力でもなかった事を思い出せば、間に合うかも知れません。