魂を抱きしめる。

昨晩は、4時頃まで眠りにつけず、安定剤の助けを借りて、就寝。
目を瞑れば、走馬灯のように出来事が思い出されて、身体は先に眠っているのに、脳だけが鮮明になって行く。
時々、こんな不眠症に悩まされる。
原因は一つ思い当たる。
周りの親しかった人たちが、認知症のグレーゾーンに入り出したからである。
認知症専門の研修の中で学んだ時より、もっと進化を続け、変化しているようである。
疾病の後遺症からくる認知症や、脳の器質的な問題などは、原因がわかりやすいが、歳を重ねていく中で、ゆっくりと進行して行く認知症は、プロでも判定しにくい時がある。
過去の誰も知らない本人にまつわる話は、エピソード記憶のように、感情も込めて覚えている。記憶が作られる瞬間から、忘却が追い打ちをかけて来る。
確かに、全てを忘却しても、最後まで残るのは、人間の五感である。
悲しみの涙、一人ぼっちの不安感、不愉快な怒り、訳のわからない恐怖、そして温かな手のひらの温もり。
一生懸命生きて来て、行き着く先にこんな罠があることを知らずに到達した世界。
彷徨いながら来た時に、私は待ち受け、大丈夫、大丈夫と魂を抱きしめる。
医療も進歩して、進行を遅らす薬や、予防的措置も行われてはいるが、それほどの成果は見られてはいない。
自分の性格、取り巻く環境、生き様などが混在した過去から見えて来るその方の認知症の色は、様々である。
内臓疾患のようなはっきりとした経過をたどらない認知症は人の数ほど様々である。
生まれ落ちた時から、その人の手のひらに握り締められていた鍵を見つけなければ、閉ざされた心の扉を、開くことはできない。
この方が、長い人生の中で、一度は、誰を愛し、誰から愛されたはず。
その人が見つかれば、私と一緒に、そばに寄り添って貰いたいと願っています。
長寿国日本の中で、誰もが通らねばならない道ではあるが、医療や介護に頼る前に、私達が考えねばならない問題である。