関西財閥と出会う街

私は、小学校の頃、かよちゃんちに行くのが楽しみだった。
隣同士だったので、毎日のように行き来した。
今から思えば、敷地面積一千坪はあったかも知れない。
地下一階地上ニ階建てのお屋敷であった。
あまりの部屋数で、迷子になるので、私はかよちゃんの手をしっかりとにぎりしめ、階段を上ったり降りたり、遊びまわった。
かよちゃんちの家族には、とびきりよそゆきの言葉で、ご挨拶をした。
リビングの真っ白なレースがかかった大きなテーブルに、「リボン」という少女漫画のご令嬢が食べるようなピカピカの真っ赤なイチゴのショートケーキとレモンティーが、おやつに出てくるのである。
私の母が作るあんこの入ったどら焼きとは大違い!
おしとやかなお姉さまと、少し病弱そうな色の白いお兄様も一緒におやつを頂くので、パックンチョと一口で食べてはならぬと決めていた。
この家には、もう一つ、かよちゃんには、何故か、子供心にも聞いてはいけないことが、あったような気がする。
いつ行っても、お父様らしき人がいなかったのである。
その代わり、芦屋の海まで見渡せる最上階のお部屋に、白髪の立派なおひげのお爺様がおられて、会うと必ず、「御機嫌よう」と声をかけてくださったのを覚えている。
その部屋には、私の身体の倍ほどの大きさの望遠鏡が備え付けられていた。
お爺様がお留守の時は、かよちゃんと取り合いっこして、望遠鏡の中の世界を味わった。
一階の大広間を取り囲む長い回り廊下に、小さな四つの足跡が、今から思えば付いていたかもしれない。
二人の女の子は、足をぶらぶらさせながら、お城の様な庭園の中に川が流れ、鯉が泳いでいる風景を、日が落ちるまで見ていた。
それぞれが違う私学の中学に上がり、そのうち会うこともなくなり、お爺様が亡くなられたのを機に、そのお屋敷から、一家は、引越しをされて今に至る。
大人になってから、かよちゃんちは、日本では有名な汽船会社を創立された関西財閥の家系だったと聞かされた。
跡を継がれる方もなく、会社はなくなり、芦屋の海の近くの小さなお家で、かよちゃんも他家に嫁ぐ事もなく、ひっそりと暮らされていると風の便りで聞いた。
芦屋の街には、10人、人が集まれば、必ず関西財閥の末裔、もしくはご親戚の方がおられる。
決して、ご本人の口からは言われることはないが、「あの方は、世が世なら」と、老舗のお店のオーナーから伝え聞く。
小さな街だが、歴史ある芦屋の中に歴然と輝いていた人たちが存在する。
そして、決して、絵に描いたようなお金持ちとは限らないのである。