親のお金が火種になって。

現在の日本ではお金の力は強い。
歳を重ね、枯れて、老いて行くと、大切なものはお金ではないと、高齢者たちは言う。
残念ながら、綺麗事は通用しない事態が起こると、そうはいかない。
認知症は、忘却と同時に、自分の金銭管理が出来なくなるのである。
現金と通帳が、次々に無くなって行く。
忽然と消えるのである。
のんびり構えていた家族も、お金の事となると、慌て出す。
「お母さん!どこに置いたの?誰に渡したの?」と、責め立てるが、本人は一貫して、「無くなったのよ」と、どこ吹く風。
そよ風が突風になって行く前触れである。
大きなお金も小さなお金も、家族の中で問題は発生する。
さて、金銭管理が出来なくなったお母さんのお金を、誰が管理するのか?
そばにはいるが、あまり関与しなかった長男夫婦なのか、嫁いでいたが、面倒見の良かった娘なのか?もはや、認知症になって、過去を忘れた母親は、決められないのである。
想定外の揉め事は、静かに、確実に広がり、
一見、仲良し兄妹は、壊れてゆく。
親の認知症の身体的な相談事には、必ず、相続の尾ひれまで付いてくる。
私のアドバイスは、医療、介護までで、こっから先は、弁護士の先生にバトンタッチとなり、悲しい結末になって行く。
資産が大きいほど、悲しみも深く、愛ではなく、お金を持ちすぎた不幸も知らない老後に出会ってしまう人達が増えてきた。
国も社会も、こんな悲劇が来る前に、呼びかけるが、自分はこんな目には合わないかもと、用意万端など致しません。
私の経験上、善悪関係なく、お金は流れるところに行き着いて行く。
それよりも、お母さんが残したものは、お金ではなく、何だったのか、どうしてあげたら救われるのか、本線に話を戻して見ませんか?
いずれ、近い将来、自分事だとすれば、火種は早いうちに消すべきだと思えるのですが?