関西財閥、打倒。

真っ白な粉雪が舞い散る芦屋川のプラットホームに佇んで、敗北を認めた日。
芦屋の街に通い続けて、8年の歳月が過ぎていたという。
数多くの関西財閥が住まれる芦屋夫人のお宅で
密やかに、そのセミナーは、開催されていた。
日本社会の中で、名誉、地位、経済力が備わった奥様たちに対して、人間学、宗教学などリベラルな学びを提供し、高貴な義務を果たすリーダーシップ育成が目的のセミナーであったと聞いている。
人脈と知名度もあり、随分、人数は増えてはいったが、最初の理念は薄らぎ、最後はパーティー色に変わっていったという。
インテリジェンスを持つ高貴な方々のステージの質を高め、本当の使命感が発揮されれば、
困難を極めた苦しい人々も自然淘汰されて、
日本が変わるだろうとの願いを込めて、奔走されていた先生であったらしい。
関西財閥でもセレブでもない私にとっては、
無関係無関心の噂話であったが、
深い湖の様な神秘的な瞳と、透明感のある存在のその女性と、奇跡的な出会いがあった。
予想を超える美しさと、吸い込まれそうな話し方をされる先生で、当時、私も教壇に立つ身ではあったが、えらい違いである。
宇宙の法則と、この世は全て数理から成り立つことを学ばして頂き、その時から私の福祉のカリキュラムに、スピリチュアルケアが組み込まれたのである。
18歳から、身を削る様な生き方の中で、学びと研究の連続をされ、芦屋でのセミナーでは、自分の力が及ばず、諦めたと言われた。
全てを兼ね備えた環境の富裕層の人たちには、飢えの貧しさも、差別の苦しみも理解することは困難である。
通報を聞いて、踏み込んだ家のなかで、ゴキブリと便まみれになっている取り残された人と遭遇しない限り、人を救うという、本当の学びは出来ないと、私は思っている。
だから、私は、諦めたことがない。