自信を持って生きる。

何が、そうさせているのか?
どうすれば、あれほど、自信に満ちた言動、
行動になるのかが分からない。
度がすぎると、非常識の域にもなる。
私の関わる人たちは、むしろ、自分の存在すら、見出すことができず、苦しんでいる人達が、多くいるので、興味深い。
日本の社会は、物質主義、学歴社会なので、勝ち負けで言えば分かりやすい。
「金持ちか東大卒」である。
もしくは、由緒ある、氏、素性。
背景的要素は満たされる。
残るは、有資格者。
上級資格であれば、前者の要因の上をいく。
金持ちは金を失えば、ただの人。
東大卒は、日本株式会社のサラリーマンで、勉強できても、営業力がなければ、ただの人。
氏も、素性も、歴史の中のただの人。
しかし、有資格者は、やり方次第では、
ただの人では収まらず、ノーベル賞まで手に入る。
幼い頃から、あの子は変わってるわと陰口叩かれながらも、星を眺め、月を愛で、虫を追いかけ回していた少年が、トップクラスの科学者となる。
親が病気がちで、決して豊かではない家庭で育ち、いつか親の病気を治すと志した少年は、世界的名医となる時もある。
自分の中に、専門的知識と、秀でた技術を身につけた人は、死ぬまで、失いようがない。
学び続け、努力と労力を惜しまなければ、永久に可能性と成果は継続する。
現代の若者が、IT企業に憧れ、10代で起業家になれる時代にはなった。
自信を持って、この世を渡るために、人々は切磋琢磨して生きてきた。
科学や医療が輝かしい進歩を遂げて、AIが、
人間に取って代わる時代になって、宇宙の法則も変容した時に、死ぬことさえもできない人間は、どう生きるのか?
人道的配慮、人道的分別を忘れることなく、
常に先を見つつ、危険回避を思考しながら、
バランスを取っていかねばならない。
人間として、本物の自信を身につけて、前に歩んで行くのは、非常に厳しい時代にはなった。