瞬間幽体離脱

もはや、夜中の2時である。
昔風に言えば丑三つ時。
おばけ、妖怪、悪魔が出没するという。
朝から晩まで動き続けて、夕食も取り、
お風呂も入って、さあゆっくりしょうとすると、手が足が体が、金縛りになったように、ベット上で、動けない。
指を動かして見たり、さすったりするが、
拘縮しているように、動きが止まる。
時間も止まる。魔の時間帯である。
さあ、これからが私の貴重な時間で、
今日の出来事を反復したり、本を読んだり、
調べものしたり、ブログ書いたりのはずが、
ピタリと、脳まで、停止する。
私を自由に動かしている核が、どこかに消えるので、取り残された抜け殻の私は、空気の抜けた風船状態。
色もなく、輪郭も定かでなく、壁さえも突き抜けて行けるほど、ぺったんこ状態である。
朝6時に起床して、寝たきりの高齢者のお弁当を用意して届け、次に、認知症の女性に会いに行き、コントロールをすませ、姉とお茶して帰って来たけど、間に電話はなるわ、メールはくるわで、私は疲れてないけど、私の中の核は、悲鳴をあげている。
「とうとう、嫌気がさして、逃げ出したかも」の感あり。
原子炉みたいに、稼働してる間は世のため、人のため、しかし、止めれば大惨事。
2時間ほどベットに貼り付け状態で、静かに眠っていると、優しい温もりと、私の生命体が、
ゆっくりと、リセットされて行く。
まるで、瞬間幽体離脱である。
お昼間に、姉が友人たちと「元伊勢神宮」に、
旅行するという話を聞いた。
友人の一人が難病にかかり、体も徐々に不自由になられたが、「最後にもう一度、行きたい」と言われ、私の車椅子を借りて、一緒に行くとの話。
天照大神が、三重県伊勢神宮に祀られる数年前、丹後地方に、一時、祀られていた場所である。
単なる名所スポットではなく、神憑りの意味と、歴史的背景が深く、概要を説明したら、
「あんた、何で、行ったこともないのに分かるの?何回も行ってる私でも知らんのに」
知らぬが仏でも、神様に会えるまでの難関を
体の不自由な友人のために行く事が、崇高な心根と、私は無事を祈っています。
尊い、神様の話を思い出したので、
飛んでいった魂が、ゆっくりと戻ってきています。