絶望から立ち上がる

冷たい検査台の上で、冷酷なドクターが、
「ああ、これはあかんわ、ほっといたら一年持たんわ!」
体内に、ファイバーを入れられたまま、
友人は、死の宣告を受けた。
身動きできない身体は、氷のように血の気が引き、頭は燃えるように熱を放ち、口の中は、
息を吸う事もできないほど乾き、絶望という文字が、身体中を金縛りにした瞬間であったと、
後になって、聞かされた。
訳あって、遠く、山口県の病院から、言葉にならない声で、連絡が入った。
「大丈夫、今から、迎えに行くわ」
山口県まで、行ってくれますか?」
事情を悟った息子と2人で、日の暮れかけた1月の高速道路を、ノンストップではるか遠い、山口県に向かった。
広島を超えて、幾つものトンネルを抜け、降りしきる雪の中を7時間、飛ぶように走り抜いた。
私も、息子も、無言の時間の中で、絶望の中に閉じ込められた人を、ただ、安心さすだけのために、向かったのである。
ありとあらゆる、人脈と医療の知識を駆使して、手術台まで、最短のコースで、乗せた。
天涯孤独の友人にとっては、私達がにわか家族ではあったが、命の為に、すべての責任を持つ覚悟で、手術の同意書に、サインをしたのである。
絶望を味わった日から、5年が過ぎた。
助かったのは、奇跡ではなく、
最高の病院、最高のドクター、そして、
私たちの素早い対応と、友人の生きるための勇気の連携が勝利した。
頑張って!は、一度も言わなかったが、
手術室に入る前には、
「首から下が、全部動かなくなっても構わない、話せる頭が残っていれば大丈夫よ」
と、伝えた。
友人はその言葉を聞いて、恐怖から解放されたことを、私にそっと話したのである。