新興宗教

数十年前、まだ、世の中に、クレジットカードやキャッシュカードがなかった頃、現金が溢れかえるような時代があった。
自分の周りで言えば、企業戦士の夫たちは、
家庭を顧みず、まず夕食に参加などほとんどしなかった時代である。
彼らは、第二の会議と称して、いわゆるクラブや料亭に場所を変えて、商談?か遊びがわからない時間を夜中まで行っていた。
「寿司屋で10万、クラブで30万使った」
と、夫達からかいま聞くと、妻たちはそれと同じ金額で、家計をやりくりしている事に、不満を抱き始めていたことは確かである。
その頃から、隙間風の吹き出した妻たちの周辺で、新興宗教が流行りだしたのである。
日本の中で、現金が飛び交う豊かさの魔力、
そのかげで、真逆の心の空虚感が生まれて行ったことは確かである。
お金、学歴、名誉を手に入れた人達は、次なる高みを目指す。
本当の教養とは、「信仰心を持つこと」
私の近しい人達も、聞いたこともないような
「教え」のお集まりが、普通に自宅の中で、
進行して行ったのである。
女性達の流行りのルートは、新幹線より早く、
ネズミ講のように、水面下で増殖する。
夫たちの知らない間に、気が付いたときには、
家も、財産も失ったケースを知っている。
私自身にも、友人達から、それなりのお誘いはあったが、お金持ちでなかったことと、
幸か不幸か、「信仰心」にかけていたことで、
被害は免れたのである。
スピリチュアルな世界は、大切ではあるが、
その前に、現実の世界で起こる見識がなければ
人間としての法則の螺旋から、吹き飛ばされるかもしれません。