現実と妄想の狭間へと

「食べもんがない!はよう持って来てくれ!」
独居の高齢者から、電話がかかる。
食料は残るほど、おいてはあるが、
「わかりました。すぐ持っていくので待っててくださいね」優しく対応する。
施設も、病院も入れず、本人も在宅希望あり。
ベットからトイレまでが、かろうじて歩ける。
宅配弁当は玄関まで取りに行けず、飽きたのもあり、勝手に断り、栄養失調状態で発見、入院して、退院となりいまに至る。
慢性病は長期入院できず、頭がしっかりしてる風のため、介護度がつかず、施設は入所できず状態。
一番やっかいな中途半端ステージである。
本人も、何度も食事を摂らず、餓死を目指して、自殺方向を試して見たが、死なず。
「なんで死なれへんのや!」と叫ぶので、
「ほんと、残念ですね。苦しいのにね」と、
変な慰めをすると、少し落ち着かれて、
食事が始まる。
4ヶ月、私は、この人の命と闘ってきた。
死にたいと願いながらも、生きようとする人間の本能が見え隠れして、苦しくなると、夜中に、「助けてくれ!頭がおかしい!」と、緊急電話が鳴る。
なんども繰り返されてきたので、本人の様子を見ながら対応を決める。
しばらくして、電話をかけると、すっかり忘れて、「電話はしとらん」と怒れる元気さに、
安堵する。
穏やかな時に、いろいろ話すと、「かなわん病気やな?ごめんな。」と、頭を下げられる。
この人の魂の人となりが表出する。
お互い様、お互い様と、笑って答える。
ますます、進行していくだろうと推測されることは、必須ではあるが、
過去から今日を経て、最後の日まで、
この人らしさを受け止めていきたい。
死に方は生き方である。
私の関わり方が、勝負である。