一瞬の変化を味わいたい。

友人が、呆れるようにいう。
「よく、それだけブログのネタがあるね!」
と、言ってるあなたの事が、今日のブログになると言うと、「絶対やめて!」と、笑って帰ってしまった。
60歳を超えてから、一瞬、一瞬の出来事や、
周りの人達が、ピカピカと光り出し、胸がときめくほどの時間となった。
60歳までの人生は、次々と起こってくる問題を、障害物競走のように、乗り越えて来た。
原因も動機も、分からないままに走り抜いて来たかもしれない。
田舎のバスではなく、ジェット機であったので、一緒に乗ってた人はいつの間にか、消えて行き、次々と、新しい乗客は、乗り込んでは来たが、気がつけば、ヤンキーみたいな操縦士の私の側には、パーサー1人、CA2、3人が、残っていただけである。
何か悪いことが起これば、因縁?
仕事の負荷が、重くのしかかれば、宿命?
縁ある人との出会いは運命?
結構深いところを歩いて来た割には、
この軽さが、あだにはならず、何かに、しっかりと守られて、喜怒哀楽、生老病死の死以外は、充分味わってきたと思う。
60歳くらいまでは、健康優良児で産まれたので、軽くクリア出きると、自負していた。
おかげさまで、かなりの経験と学びはして来たので、その成果を試すのが、これからの残された人生のスタートである。
一人ぼっちで、どう生きるのか、何歳まで生きれるのか、まだ、誰かと出会えるのか、
全く未知数の未来に、胸がときめいた。
分からないことに腹が立ち、知らないことにいらついていたことが、私のシステムから静かに消えて行くのを感じてる。
70歳を迎えた世界は、すっかり周りの景色は変化して、何層にも重なっていた雲にも、あらゆる方向から吹いてくる風にも、惑わされることなく、寄り添える。
呪縛から解放されて、あるがままに生きれる、
エンディングタイム。
神様の優しい手が、私の背中を撫でている。