ストローは、もう使わない。

いつの頃からか、行動範囲が狭くなり、
ブログを書くにも、画期的なネタがない。
世間は、2年後に控えたオリンピックブームで、テレビも、イベントもスポーツ花盛り。
それに反して、高齢者は、指をくわえてみているか、触発されて、身体を鍛えなおすか、どちらかである。
首から下は、あまり自由の効かない私は、
どちらでもなく、地球の上に乗っかって、
時の流れに、任せている毎日である。
会う人の話が新鮮で、最近、人間の何気ない言葉に感心することが多い。
「ストローは使いません。買い物のポリ袋も結構です」と、友人が言うので、飲みかけたマクドのアイスラテを飲むのをためらった。
どれほどの資源ごみが、海を汚し、鳥や魚が
被害にあっていると言うニュースは聞いてはいたが、即実行に移す人も、日本では珍しい。
しかし、確かに、1人でも、いけないことは、
気付けばやめるは、良きことだなと思う。
「可哀想!」
「大変やね!」
は、誰でも言えるし、涼しい部屋で、冷たいビール飲みながら、被災地のニュースを見てるのは楽チンである。
こんな年寄りでは、ボランティアにもいけず、
ましてや、遠い国のことなど、寝たら忘れる。
だから、今日から、今から、ストローは使いませんと言い切る友人の言葉が、心に刺さった。
考えれば、ストロー以外にも、ペットボトルや
プラスチックの食器など、ポイと捨てたら便利で、ゴミ箱から先はどうなるのかは、追った事がない。
ありとあらゆるものが使い捨てになって来た現代、布おむつから、紙パンツに、布巾がキッチンペーパーに、そして陶器の食器がプラスチック製品にと家の中を見渡しただけでも、数かぎりない。
今に、人間までも使い捨て思想が起こるかもしれない。
便利になれた私たち女性には、家事労働の時間の比率が、少なくなり、家事をする家内が、
消えてゆく。
たった一本のストローの話が、ここまで、深い話に、とりとめもなく、秋ならぬ夏の夜長が、過ぎてゆく。
もはや、0時を越えたが、脳だけが覚醒し続けている。