我が家を明け渡す時。

苦労して建てたのか、簡単に手に入ったのか分からないが、大きくても小さくても、
我が家に執着している、独り暮らしの老人が多い。
「住み慣れた地域で、住み慣れた我が家で、
最期を迎えよう。」
少子高齢化で、介護保険も底をつき、改正を繰り返し、なんとかしのぎを削ってはきた。
老いて、自立できなくなれば施設に入所、
病気になれば、すぐ入院ができていた時代は、終わったのである。
部屋もベットも、見渡す限り、老人だらけ。
介護保険医療保険も、底をつき、国は、
入所、入院が、簡単にできない対策をとったのである。
そして、「人生の最後は在宅で」のスローガンを打ち出したのである。
したたかな老人達は、そんな世間を知ってか知らずか、在宅にどっかり腰を据えて、開け渡そうとはしない。
訪問ドクター、訪問介護、訪問ヘルパー、
訪問薬剤師、訪問リハビリ、そして家族が駆けつけての介護である。
自分の家は、自分の城で、自分の資産で、自分の支配が発揮できる場所である。
その高齢者が100歳近くなら、子供は80歳近くである。
一体いつになったら、この家を引き継げるのか、自分のものになるのか程遠い。
その時が来た時には、自分も人の世話になる様な状態で、譲り受けたとても、遅かりしである。
律儀な家族ほど、損をする。
「あそこの家族、おばあさんを有料老人ホームに、ほりこんだらしいよ。」
と、言う噂を耳にすることがあるが、
最近は、「いいんじゃないですか!」
牢屋に入れたわけでもなく、お金さえ出せば至れり尽くせりの老人ホームで、お婆さんは、
気持ちよく、家族に、城を明け渡してあげるのも、潔ぎいいかもしれません。
頭も身体もままならぬ様になったら、大黒柱にもなりません。
ついつい、何十年も住みなれた我が家には、
愛着も執着もあるでしょうが、まだ判断出来る間に、身の振り方を決めるのも、素敵な生き様だと思う。
おかげさまで、放浪の旅をして来た私には、
我が家と言えるものがないので、身が軽い事は、良かったなとも言える。