芦屋の街から看板が消える?

確かに、芦屋の街は、景観が美しい。
小さな街であるから、行き届く事もできやすいのであろうが、どの場所にいても、北には山が、南には海が、そして、短い故に綺麗な水の芦屋川が、サラサラと流れている。
昔から、ほぼ、上流階級の方々の住まいや保養地など、家並みも家庭画報の雑誌に出てきても、可笑しくはない。
住民の気持ちを知ってかしらずか、芦屋市が
看板などの規制をかけて、5年以内に、規格外の看板などは撤去となった。
最初に聞いたときは、芦屋市内で、お店や会社をされている方達からは、不満の声もあり、
高い税金払って、市に貢献されてるのに、
気の毒には思っていた。
確かに、いきすぎたギンギラギンの看板や、歩道にはみ出て、風が吹けば飛んで行くような旗などが並んでいるのは、私も好きではない。
ヨーロッパなどに行くと、どの国に行っても、
看板、目印、案内、張り巡らしたチラシなどはない。
それでも、老舗のレストランは賑わい、cafeは繁盛している。
最初に行った頃は、トイレの案内も、公衆電話のカードも、どこに売ってるのかわからず、探し回ったことがあった。
お店も、シャッターが閉まり、お休みなのかも、何時から営業なのかも、どこにも書いてはいない。
今の日本からは想像もつかない不便さではあったが、フランス人に「何故?こんな不親切?」
と、聞いて見たら、
「貴方には、なんでも見える眼と、なんでも聞こえる耳がある。わかれば歩いて行ける足もあるでしょう」
と、言われた時には目から鱗であった。
日本の中では、本人が頭を使わず、労力かけずの過剰なサービス合戦。
フランスという国を、愛した人たちは、
常に、均衡を保ち、大切にしていることがある。
今はどうかわからないが、パリのリッツホテルの中の玄関にドアマンがいたが、入ろうとしても、開けず、しばらくすると、一人のおばあさんが開けてくれたので、チップを渡した。
このお婆さんの唯一の収入源であり、だから、自動ドアにしないと聞いた事がある。
ヨーロッパの国は、移民がオーケーなので、人種のるつぼである。
国が違えど、共存共栄を慮っての、人間の優しさに触れた気がした。
景観の美しさだけではなく、お互い様、おかげさまの心が残るような、芦屋の街であって欲しいと、望んでいる。