暴露の時代

私たちくらいの年齢になると、突発的な出来事が起こっても、一瞬は、動揺するが、
「なんでだろう?」と、落ち着いてくる。
大災害に、巻き込まれるのは別ではある。
人間の仕業や、人間関係の中の、揉め事は、
同じ人間同士なので、少しは当たりがつく。
小さな村的な、狭い範囲のスペースでは、小競り合い程度の仲違いや、行き違いがある。
しかし、国の公的機関が、介入するような、
出来事は、かなり、色目が違ってはくる。
政治や警察などは、一人の人間の常識の範囲を超えるので、雑学での範囲ではない。
知ったかぶりの知識では通らない。
例えば、殺人までいかないが、やった、やられた程度でも、それぞれに人権があり、
専門家が、介助して、国の法則に乗せて
解決に向かう。
感情論や、心情論を持ってしても、成り立たず、カテゴリーに分けられた分野のなかで、否が応でも、日本国の日本人として、裁かれて行く。
一般人の中で、もみ合ったりしているうちは、恨みや因縁かいなと言いながら、なんとか、日にちがたてば、忘れ去られて落ち着いてゆく。
日本の公的機関は、個人は、問題も多いが、
そこにはめられたシステムは、非常に、優秀であり、人間の尊厳は、公平に守られている。
何処かの国では、トップが、
「嫌い!」と、つぶやけば、明日以降、存在はない。
昔の日本も、そんな時代もあり、ちらほらと、見え隠れしながら、泣いてきた人もいるが、
やはり、近代、これだけの情報社会のなかでは、送信を押すだけで、一瞬にして、世界の果てまで、飛んでゆく、怖い時代ではある。
秘密も、闇も、開けっぴろげ状態で、おばちゃんの噂話を、越えてゆく。
自分が発信しなくても、他人が発信するし、
全く無関係の傍観者が呟くのである。
「今世紀は、暴露の時代」と、言われた人が、いたが、今隠せても、いつかはバレる。
この世で、バレて、恥ずかしいことは、せんことです。