人生が顔に出る。

「歳を重ねたら、その人の人生が、顔にでる」
と、よく聞く話である。
確かに、女優さんは、あちこちリフォームしてるので、分かりにくいが、それでも、下地が、
浮き彫りにはなっている。
男性は、操作がしにくい為、そのまんまなので、分かりやすい。
私自身も、すでに、顔にでる年齢ではあるので、
化粧で誤魔化している部分を、排除した顔を、鏡でじっくりと、見る時がある。
シワもシミもあり、かなりの修復は、必要ではある。
一応、親からもらったまんま、お金もかけずに来たので、コンピューターで、後からできたシミシワタルミを削除していけば、懐かしい、若い頃の顔に、復元可能である。
では、何処が顔に出ると、言われる所以なのか?
会社の名刺、地位、名誉、バックヤードのなくなった年寄りの、判別は何処にあるのか?
社会に貢献されて来た実績と知識、それに伴い、無意識に溢れ出る知性、品性、などである。
若い人のような、元気なエネルギーや純粋な行動力は、失なってはいるが、人格、品格が、顕著に表れている。
歳はいかれていても、その方が現れると、
はっとするほどの崇高な光を放っているときがある。
逆の場合もあり、外から見れば、氏素性申し分なく、すべてのものが取り揃っている人生を、
最後まで保ち続けて来ているはずの、人物と言われる人の顔を見た時に、恐ろしいほどの陰謀の目と、苦渋に満ちた醜悪を感じるときがある。
長く、生きて行く中で、人は必ず、気づきの出来事に出会う。
自分に跳ね返り、深く、心に刺さるような場面にあったとき、その悲しみ、辛さの中で、乗り越えて、喜びを勝ち得た人は、成長してゆく。
世界の歴史から見れば、たった、80年ほどの、目にも止まらないちっぽけな自分の人生ではあるが、与えられし、貴重な時間と思える人の生き方は、確実に違う。
後、数日ですよと、死の宣告をされたとしても、まだ間に合うのである。
太刀打ちできないほど、心閉ざし、歪みの世界に浮遊している高齢者に、たくさん出会って来たが、その度に感じる悲しみは、
「この人は、人を愛することをしなかった」
と、じっと顔を見つめ、気の毒に思うのである。