知の官能

最近、「知りたい」と、好奇心と興味を持った人たちが、殺されて行く映画を見た。
中世のヨーロッパの聖職者達の物語である。
この時代に、私が存在していたら、
一発で殺されていたはず。
ヨハネの預言」通りに、水を張った亀の中に、逆さに入れられ両足が、水面から飛び出している死に方である。
まるで、金田一耕助の外国版である。
人間が、決して知ってはならぬ禁断の書が、
大聖堂の迷路になった図書館に、何万冊と収納されて、見たい、知りたいと抑えきれずに、
その図書館に入ったものは、次々と殺されて行く。
あまりの不気味さに、最後まで観る事が出来ず、DVDを消した!
「知」とは、もちろん知識のことである。
知らぬが仏と、興味のない人は救われるが、
私のように、物心知いた時から、
「これなあに?」
「どうして」
「なんでだろう」
と、分かるまで、人に聞きまくり、本を読み漁り、追求して来た。
もちろん、年相応の絵本ではない。
姉や兄の本から、大人が隠していた本まで、探し出して読んでいたように思う。
私にとっては、並んだ文字は、絵のように、
イメージが湧いて、現実の世界以外の、官能の世界であった。
最近では、聖書も、三国志も、フランス革命も、哲学、科学等等、全て、漫画になって出版されているので、私が文字を読んで、頭の中で、絵面にして来たのは、まんざら間違いではなかったようだ。
本題に戻るが、何故、知ると殺されたのか?
その映画の中では、知ることは権力と支配を手に入れる事ができるとの解釈であった。
凡人には知らされず、教えず、見せず、
そうすれば、知っているということは、
全てを見通し、真実を自分だけのものにできる。
善にも悪にも、活用できる、人間の武器となる。
聖書の中に、神に使える三人の天使がいる。
ルーシェル、ミカエル、ガブリエル。
名前の意味は、知、情、意を、それぞれが、司どる。
そして、平和な楽園、エデンの園で、起こった大事件の張本人が、「知」の天使、ルーシェルが、エバの耳元で、そっと囁いた言葉、
「あのリンゴは、とっても美味しいよ。
食べてごらん」
神を裏切ったルーシェルは、姿を最も醜い蛇の姿に変えられ、天国から、追放され、
この世に落ちて、サタンの化身となったらしい。
なんでも知ってたら、言いたくなるよね。
意地悪で、いう時もあるよね。
この映画の中の、「禁断の書」を、知りたい。
と、思っている私は、間も無く、映画の続きを、きっと、観ることになるだろう。
怖いもの見たさに。